誰も敵わない




ようするに自分は仕事をしなければいけないのだ。
窓から差し込む太陽の光はもう陰り初めていて、どれほどまで時間がたったのかを知らせている。
そう、自分は仕事をしなければいけないのだ。
自分はさぼり癖があるわけではないと自負しているし、いまだってそう、やる気はあるのだがいかんせんうまくいかない。
理由は多々あるだろうが、そのなかのひとつは確定している。
ようするに、このくらいの昼下がりになるとよく現れる厄介者のせいだ。
昼寝の前に現れるあいつのせいだ。

かちゃりとドアの開く音がした。人の入ってくる気配がする。
振り向くか、いや、振り向いたら終わりなのだ。
僅かに考えて、そのまま書類に目を走らせた。

「どいつー。」

後ろから間の抜けた声がする。あぁ、どうしてこいつはこんなにも間の抜けた声が出せるんだ。
後ろにいる人物は解っている。長年付き合ってきた茶色の髪の友人だ。
同い年であるにも関わらず、こどもっぽい雰囲気の抜けない友人は昼下がりにふらりとここへやってくる。

「仕事中なの?」

彼の舌ったらずな声が自分の仕事を邪魔にしくるときばかりより甘く響くのだと気づいたのはいつだったろうか。
彼はいつもから子供くさく甘ったるい声を出すのだが、このときはさらにそれが酷くなる。
確信犯的な何かではないにしろ、それはゆゆしき事態なのだ。
自分が彼に躍らされているなど、考えたくもない。俺はその声を気にもかけないようにして仕事をこなしていく。
そう、こうでなくてはいけないのだ。構って欲しがる子供にかまうのはベビーシッターの仕事であり、自分の仕事ではない。
彼の声が続く。

「ねぇねぇ、今日は暖かいよ、ねぇ、こんな日はお昼寝したくなるね、ねぇ、こんな日に閉じこもってるなんて仕様がないよ。」

彼はしゃべり続ける。あぁ、今日は暖かいというよりはむしろ暑いというのがふさわしい気温であり、
また昼寝は別に彼は毎日しているから今日が特に秀でた日ではない。そして別に自分は閉じこもってるわけではないのだ。
彼の発言には突っ込みどころがありすぎて、しかし、ここで構っていては情操教育的にも自分の精神的にもよろしくない。
だから無視が一番なのだ。彼は話続けている。自分はマホガニーの机に向かう。
昼下がりの空気は重たく淀んで、なんだか本当に意識が沈んでしまいそうだ。
そんなことを考えてそして不意に、異変に気づいた。

彼の声が、やんでいた。


それはむしろ喜ぶべき事態だった。彼にだって仕事はあるのであり、こんなところにいるよりも仕事をしたほうがいいのだ。
よしんば彼が仕事に向かわなかったとしても、自分に被害が加わらないならこちらのほうが何倍もましだ。
だからこれは喜ぶべき事態だ。さっき、扉が開く音はしたが閉まる音はしなかった、
だからおそらく彼は空いたままの扉から出ていったのだ。そう考えればつじつまがあうのだから。

だから何も考える余地はないのに、ないのに。

なぜ、自分のペンはとまっているのか。

彼は何所へいったのだろうか。
彼は他の誰かに甘えにいったのだろうか。
それでいいじゃあないか。自分に被害がこないのだ、それでいいじゃあないか。
なのになぜ、仕事が進まない?苛々する。彼は寝てしまっているのかもしれない。
そうだ、別にこれは彼を心配しているのではないのだ。
ただ、他人に彼が迷惑をかけていた場合、それを注意する必要があるからなのだ。
もしくは彼が廊下かどこかで寝ていた場合、彼に毛布なりなんなりをかけてやらなければならないからなのだ。

俺はペンを置いて、椅子を引く。
振り向いた、瞬間、声がした。



「はい、俺の勝ちーぃ。」



振り向いた先、革ばりの大きなソファのその上に見慣れた茶色が乗っていた。
彼はいたずらっぽく微笑んで、ぺろりと赤い舌を出す。
その声が甘く淀んでいるのを感じて、俺は小さく舌打ちをした。

今日はとてもよい天気で、そういえば昼寝にはちょうどいいのかもしれない。





でも君に振り回されるのも本当は好きかもしれない