ソメイユ



コンコン

本を読んでいた静かな室内に、響き渡った、小さな音。
それに気づいて、ページを繰る手を止めた。


コン、コン

少し間を置いてもう二回。

ふぅ、とため息を吐いて、本を机に上に置く。



また、か。



振り向けば、音の発生源であろうそこは、庭に面した大きめの窓で、その向こうに揺れる人影。
一応隠れているが、実際は見つけて欲しいのだろうということがわかるくらい、コイツのこの行動は よくあることだ。




「…イタリア。」




呼びかければ、びくっと窓のそとの人影が揺れる。



「…そんなとこにいて、窓を叩くぐらいなら、入ってこい。風邪をひく。」



そう言うと、おずおずと窓から見なれたこげ茶の髪が現れた。
いつものことだ。いつもの。



「ドイツ…こんばんは…」



窓を開けてやると、肩をすくめたイタリアが立っていた。
もう四月間近とはいえ、ベルリンの夜は寒い。
小さく震えるその肩に触れてみる。


冷たい。



「…とりあえず、挨拶はいいから入ってこい。」


告げたら、イタリアは左右をちょっと見渡してから、こっちに振り替える。
悪戯っぽく目を細めて。




「…あぁ、もう窓からでいいから。」




ため息と共にそう吐き出せば、おじゃましまーす、といいながらイタリアが窓を乗り越えてきた。
高めの窓によじ登るのと、玄関に回るのとでどれだけの差があるのか
思いつつ、入ったのを確認してから、窓を閉めた。

部屋の中を歩いて行くこいつは、白いパジャマ姿。
お世辞にも、防寒に優れているとは言い難いが、常日頃のことを考えれば、マシなほうか。


そのままベッドサイドに腰掛けたイタリアの後を追うように、俺もベッドへ移動する。
ついでに机の上の時計を確認した。


午前2時。




あぁ、また、



「また、眠れないのか。」


問いかけにイタリアは少し俯いて、それから小さく、頷く。

肯定。


この季節になると、イタリアはなにかに憑かれたようになるときがある。
眠れなくなって、明らかにシエスタには早すぎる時間帯からぼうっと空を見つめて。

そして、不意に呟くのだ。



『お菓子を、焼かなくちゃ』



何のために?誰のために?
聞いても、返答などない。ただ、何回かそれを繰り返して、でも、一度とて本当に焼いたことはなかった。
何回か繰り返した後、何かを諦めたように、ため息を吐いて、またぼうっと空を見つめているのだ。

それは、しばらく続いて、ある日突然終わる。
しばらくほとんど眠らなかったイタリアが今度は死んだように一日近く眠り通し、
そして、起きたときにはすべてが元に戻っている。
その様子は、精神的なことに疎い俺にも解るほど、異常。


そして、いつからだろうか最近眠れない夜には、彼はこうしてやってくるようになった。



「ねぇ、ドイツ、もう寝る?」

「そのつもりだったがな。」


しばらくつきあってやらんこともない。と小さく言えば、イタリアは嬉しそうに笑った。
いつだってこいつは少しのことで嬉しそうに笑う。
その笑顔が好きだと、素直に言えればよいのだが。


ありがとう、と笑ったまま言ってくるコイツに、伝えようとした言葉はいつも呑み込まれて。
今日もまたとりあえず横になろう、とだけ告げたら、また小さい肯定があった。


2人でならんで横になる。自分は先ほどの本を広げて。
だが目が文字を追わない。
意識は、明らかにイタリアに向いてしまっているから。





以前、一度だけこう聞かれたことがあった。


『ドイツって、昔の事、覚えてる?』


昔?と聞き返した俺に、イタリアは子どもの頃のこと、と付け足したけれど。

自分は、そのとき首を振らざるを得なかった。
実は、俺には子どもの頃の記憶と言う物が無い。気づいたら、ある程度大きいすがたで、上司の元にいた。


上司に聞いても、彼も何も知らないという。
気づいたら、ここにいたと。

その事をイタリアにつげたときあいつは、

『そう…』

と少し不満そうに呟くばかりで、それ以上は何も言わなかった。





何故そのようなことを?理由を聞いてもただ『なんとなく』というばかりで何も言わない。

そのイタリアの表情が心にひっかかって取れず、恥をしのんでフランスに尋ねたら、そいつは俺を見て、そして一言。



『お前、あいつに似てるからな。』




あいつ?




それ以上はどれだけ聞いても教えてもらえなかった。そして、
それをイタリアに直接尋ねるには、俺は少し勇気がなさすぎた。

イタリアの、笑顔が好きだと思った。
それが、この質問でこわれそうで怖かった。






イタリアは、俺に背を向けるようにして丸まっている。
寝てはいないだろう。だが、寝たように見せかけてこちらを安心させようとしているのは痛いくらい解った。
こいつは妙な所で律儀だから。


本を閉じて、電気を消す。


すっかり冴えてしまった頭では眠れそうもないが、ここはこうするほうがきっと良い。



「…神聖ろーまぁ…」



聞こえるか聞こえないか、の小さな声。
振り向くと、イタリアの肩が微かに震えていた。




それが、フランスの言った『アイツ』なんだろうか。
そいつは、イタリアにとってなんだったんだろうか。



いろんな疑問が頭を掠めて、でも結局は言えやしないのだから。


そっとイタリアの頭を撫でる。
ぴくっと肩が揺れて。それから押し殺したような泣き声が漏れて。


言えやしないのだから、こうするくらいしか、できないだろう?





夜の闇が辺りを包む。


眠れない夜があけるまで、あと四時間弱。







いいわけ
眠れないイタリアと一歩踏み出せないドイツの憂鬱
イタは神聖ローマを忘れられずに苦しんでると思う…けど、よく考えたら400年近く待ってることになるんだなぁ…
凄いな←そう設定したの自分のくせに