ユキウサギ症候群
起・・・・樹
開きっぱなしの窓から吹き込む冬特有の冷たい風を頬に受け、首に巻いたマフラーを後ろにたなびかせながら、不機嫌そうに目を細めて露西亜は今回の世界会議の会場となった日本の国会議事堂の廊下を足早に歩いていた。
世界会議の最中、たかだか数十分しか無い貴重なお昼休みに、露西亜だけどうしても何か口にする気になれず、皆が室内で思い思いの休息をかねた昼食を楽しんでいる中、一人空気の篭った室内から開放されたくて、外に出ようと急いでいた。
特に会議の結果に何か不満がある訳でもないのに、どうしてだか、無性に苛々してしょうがなかった。
露西亜は無意識に眉を顰めると、重いブロンズ製の正面玄関を守衛に頼んで無理やり開いてもらい、外に出た。
ぎしりと軋む薄く積もった雪の上を少し歩きながら、白く曇る自分の息に露西亜は何処かほっとした気持ちになって、風の強さに思わずマフラーの下に隠した口元が人知れず緩んだ。
日本の冬は露西亜の家程寒くはなかったれど、それでも自分の家と少しでも類似した場所に出ると、安心する。
それでもどうしようもなく苛々気持ちは、完全に消える事はないのだけれど。
「あーあ。つまんない」
「・・・・・・なんでよ?」
ぽつりともらした独り言に返事が返ってきた事に驚いた露西亜は、そこで初めて自分の影に重なるもう一つの影に気がついた。
くるりと勢いよく振り返った露西亜は、いつの間にか背後に立って軽く手を振りながら自分に笑いかけている仏蘭西を見止めて、何でと言おうとして上手く声が出せず一言あっ、と呟いた。
何で君がここにいるの。
承・・・・にのはち
「日本の冬もつらいねぇ。関節が痛くなる、っつーか」
言葉の出ないロシアを尻目に、フランスはぎゅ、ぎゅという何処か苦しそうな足音を立てながら傍の花壇へと向かった。屈み込むとそのまま素手で雪を一掴みし、ころころと転がしているようだ。
「……なんで?」
「ん? ああ、まあ一言で言うと歳だろうなぁ……俺もまだまだ若いと思ってたけど」
「違うよ。そっちじゃなくて」
ようやく掛けられた質問は別の方向へと曲げられてしまった。何かを作っているらしいフランスの背に向けて唇を尖らせる。その瞬間ちらりと振り向いて、ああわかってるよと苦笑された。思わずもう一度口元のマフラーを掴む。こうやって誤魔化されるのは好きじゃない。
「お前がどうも腑に落ちない面してるから気になったんだよ。また不満爆発、でおっそろしい事になんのもごめんだしな」
立ち上がりながら告げる。その顔には呆れたような、でも優しい笑み。
「ほら、これ。日本のユキウサギっつーらしいけど」
転・・・・とらこ
両手で大事そうに持ち上げたものは、確かにうさぎだった。真っ白な体に葉っぱの耳。それに何の実だろう、真っ赤な目がこちらを見ている。
「可愛いだろ?」
くりくりした赤い目に逆らうことは出来なくて、ロシアは素直に頷いた。だろ、とフランスが少し得意げに笑う。
「やろうか?」
その目は楽しそうに笑っている。ロシアは一瞬手を伸ばしかけたけれど、首を横に振った。
「いいよ、いらない。こんなの、貰ったってすぐ溶けちゃうじゃない。」
もうしばらくしたらまた会議が始まる。暖房の効いた部屋にこんなものを持ち込めば、あっという間に跡形もなくなってしまうだろう。
「僕、こういう脆いの、好きじゃない。」
フランスは仕方ないやつ、というように笑う。
「それがまた儚くていいんだろ。」
風流ってもんがわかってないねぇ。そう言って、フランスは慈しむような目で手の中のうさぎを見つめている。その両手が真っ赤になっているのに気付いて、ロシアは不機嫌そうに顔をゆがめた。
結・・・・さとき
「離しなよ、そんなの。」
「は?」
「離してって!」
いきなりの大声に驚いたフランスの手からユキウサギが零れ落ちた。地面に落ちてそれは崩れる。あ、とフランスが呟いた。ロシアはその赤くなった手を握る。暖めようとして、しかしロシアの手も同じように冷たいのだ。逡巡し、ロシアはその手にそっと舌を這わせた。フランスは身をすくめ、それでもロシアは止めない。濡れた暖かさ。崩れたウサギ。
「なぁ、んなことしなくても。」
「僕は、儚いものは嫌いだよ。ずっと在るものがいい。ねぇ。」
あんなウサギよりさ、君がいいよ。赤い舌は指を這う。同じく赤いウサギの目がそれを見ている。笑うなら笑えばいい、今はまだ儚いものは嫌だ。ずっといてくれる存在が欲しい。欲しい、ほしい。
「俺は溶けねぇから、心配するなよ。」
フランスは笑ってロシアの頭を抱きしめる。その時漸くロシアは自分の頬を伝う涙に気付き、あぁそうだ、忘れていた。昼休みがそろそろ終る。
にのはちからの可愛いパス(ユキウサギ )を叩き落す最悪な俺