注* 日本が女体化
「後ろの正面だぁれ」の続き。
それでも良い方はスクロール。
この子もあの子も
あの子は馬鹿でした。愚かでした。恋などといふ曖昧なものに入れ込んだからこのやふなことになつたのでありませう。私はけしてそんな真似はいたしますまい。そんな馬鹿な真似は。わたくしはけして、けして
今日もあの子は微笑んだまま薄汚れたウールを抱いて笑う。まるで赤子をあやすように手に抱いたウールを揺らす。あぁ、アァ、泣かないで。泣かないで。小さく呟きながらあの子は幸せそうに揺らす。ウールは何も言わずに抱かれている。あれは彼女が愚かだったからあぁなったのだ。私はあんな風にはならない。けしてならない。恋などには溺れない。
彼女は今、病院で暮らしている。ドイツさんも大変だ。あんな風になっても恋人を見捨てられないのだ。あれも恋などに心奪われたからあんな風になっているのだ。かわいそうなことだ。
かわいそうな、ことだ。
わたくしは恋などしたくないのです。恋は人を狂わせるものとそういふでございませう?私はそんなものはいりませぬ。いりませぬ、いらないのでございます。
「日本。」
病院からの帰り道、声をかけられて振り向くとそこには鮮やかな金色と緑の瞳があった。彼は私に追いついてそれから少し笑う。彼はもともと不機嫌そうにしていることが多い。それなのに何故か私には笑うのだ。
「イギリスさん。」
「・・・帰りか?」
「えぇ。」
「あー・・・その・・・一緒に、帰らない、か?俺も帰る途中なんだ。」
下を向いた彼の手には明らかに今から出しに行くのであろう封筒が握られていた。嘘だ。帰る途中なんで嘘だ。彼の好意を時々感じるときがある。私はそれを解っていて、首を振る。恋は愚かなものだ。落ちたくない。堕ちたくない。あの子みたいになりたくない。
「急いでいるのです。」
「・・・そう、か。」
私の返答に彼は少し失望したように首を振って、またなと呟いた。私は早足で歩いてそこを去る。彼の視線が私の後ろ髪に刺さった。痛かった、視線が。彼の想いが。心が訛りのように重い。あぁ、酷い気持ちだ。これだから嫌だ。彼は嫌だ。苦しい。苦しい。恋なんて無意味だ。
あの子はあの時何を孕んでいたのでさう。考えるときがあるのですよ。愛する人のことを思ひ続けてあの子は何を孕んだのか。それは狂気か愛情か。どちらでもないのかもしれませぬ。あの子は夢を見たかったのかもしれませぬ。
「っあ・・・ぁ。」
布団に包まれながらこういうことをしているときの自分が一番嫌いだ。嫌いなのにしてしまう自分の浅ましさが嫌いだ。綿の布団に包まれて、指で局部を刺激する。あぁ、とか細い声が自分の喉から漏れるこの瞬間が酷く嫌いだ。湧き上がる自己嫌悪はそれでも必ず行為が終わったあと。最中は何も考えなくて良い。頭をただ馬鹿みたいに白くしていればいい。
「―――ッ・・・ふぅ。」
びく、と体を一回痙攣させてそのまま敷布団の上に倒れこむ。はぁはぁと乱れた息をそのままに私は目を閉じる。乱れた黒髪が邪魔だ。目を閉じて、とたんに浮かんできたのは昼下がりに見た金と緑。あぁ、嗚呼、何を考えているのだろう。嫌だ、自分が嫌だ。こんな浅ましい、女な自分は嫌だ。恋は酷く曖昧でそして忌むべきものだ。あの子は馬鹿だったのだ。
あの子のやうにはなりたくはないのです。それでもおもふときがあります。あの子はもしかしたら不幸でありながらにして幸福だったのではありませぬか?何かわからずとも愛しい人との生活の中で何かを孕めたあの子は幸福なのではないでさうか?わたくしは孕めない。何も孕めない。
トゥルルルルル
電話だ。電話が鳴っている。息を整えてから床に落ちていた携帯を拾った。緑のボタン、通話ボタン。嫌な、嫌な気持ちだ。
「―はい。」
『―日本。』
とたん飛び込んできた声に浮かんだのは昼下がりの金と緑。頭の中がスパークしたように一瞬何もわからなくなった。何故?何故彼がこんな時間に電話をかけてくるのだろう。考えがまとまらない。震える私の手の中で彼の声が響いていく。
『今日は、言いたいことがあって、それで電話を。――日本、』
ぐるぐる回る。金と、緑と、それから布団の中で悶える私と、浅ましい声と、記憶の緑と、通話ボタンと、嗚呼、あぁ、アァ
『好きだ。』
止めて。
あの子はきっと不幸なのです。恋に溺れて恋に狂つたのでございますから。あぁでも同じくしてあの子は幸福でさう。幸福なのでさう。愛しい人との想いを孕めた。その身体の内に何かを孕めた。わたくしは孕めない。孕みたい。孕めない。愛しい人はすぐ傍にいますのに。踏み出せない。わたくしは、
臆病なので、ございます。
嫌だと叫んだはずの言葉は震えて声にならなかった。彼の声が響いている。もはやそれを脳内は理解できない。恋はふしだらで人を狂わせるどうしようもないもの。だからしてはいけないあの子みたいにはならない。あぁ、なのに手が震える。心が、喜ぶ。いけないいけない駄目だめ、あの子と同じ道は歩まない。それでもうれしいそんな浅ましい自分はいらない。毎夜彼を思って慰める自分なんかいらない。いらない、いらない!!!!!
震える手で携帯を床に投げ捨てる。それは布団に落ちて転がった。震える私の前で通話ボタンが光る。緑色に光る。私は床に座りこんだ。だめ、だめ。
通話ボタンが笑っていた。私を見て笑っていた。馬鹿な女だと笑っていた。首を振る私は、それでも尚、
彼に欲情しているのだ。