02,枕なし月夜
こじんまりとした庭を抜けると、そこが日本の家なのだった。
風が吹いて、あたりの木を揺らしていく。イギリスは目を軽く細めながら庭を抜ける道を歩いた。
夜だというのに外は薄ら明るい。
空を見上げる。あぁ、満月、か。
「あぁ、イギリスさんではないですか!珍しいですね、こんな時間に。」
見慣れた玄関に現れた日本は、イギリスの良く知った顔で笑う。
見る者を落ち着かせるような奇麗な笑みだ。そして、けして内側の心を見せない笑み。
日本の本心を知る人などいるのだろうか、心の中で呟いて、それから小さく自嘲する。
少なくとも、俺は違う。
「久し振りだな、日本。」
なんとかそう一言だけ吐き出すと、日本はほんとうに久しぶりです、とまた小さく笑った。
そう、久しぶりなのだ。ここのところ、二、三年程会えていなかった。
会いたくなかったわけではない。会う余裕がなかった。戦争だ。世界を巻き込んでおこった今回の
戦争は世界最強と謳われたイギリスの軍隊にも大きな損害を出していたから。
満月が廊下を照らしている。もうすぐ雨の季節なのだろう。湿度の高い気候にスーツは合わない。
イギリスはネクタイを緩める。暑い。春はもうすぎたようだ。
日本に連れられて歩く家の中は以前とあまり変わっていなかった。
変わっているものがあるとしたらそれは自分たちの関係だ、とひとりごちる。
以前は毎日のようにお互いの家を行き来していたものなのに。
それなりに幸せだった。それなりにうまくやっていたと思う。
幸せな時間は続くと、そう訳もなく信じていた。
それは本当はあまりに不安定な地盤の上になりたったモノだったのだけれど。
「…この前の戦争、ずいぶんと暴れたらしいよな、日本。」
「あぁ、敵国の中国拠点を殲滅したことですか?」
「そのことだが…誰がそんなことしろと頼んだ?」
ぴたり、と日本の足が止まる。イギリスを振り向く顔にはやはり穏やかな笑みがあった。
いつもと変わらない笑みだった。けして、本心ではない笑み。
自分が、崩せなかった何か。
「何がおっしゃりたいのでしょう?」
「…アメリカが、」
日本は、先の世界大戦で、ドイツ軍の中国要塞を殲滅していた。
それは、誰もが、そうイギリスさえも予期していなかったことだった。
日本が自ら戦いに身を投じてくることが。そして、戦勝国として名乗りをあげようとしていることが。
「アメリカが、あのことを良く思っていない。」
月の光がうざったいほどに輝いていた。
何かが狂い始めている、とイギリスは思う。
何かが加速を始めている、と。
何か、強い力が。
「アメリカさんには、関係ないでしょう。」
くるり、日本が背中を向けた。
強い何かが加速し始めたとき、それは止めようがない、ということはイギリス自身が一番良く
わかっていることだ。アメリカの独立のときもそうだった。けれど、
止めたいと思った、目の前で加速していく愛しい人を。
変えたいと思った、できればこの狂い始めたなにかを。
空では月が輝いていた。そういえば、同盟を組んだその日も月が明るかったかもしれない、とイギリスは思う。
いつまでこの関係が続けられるかももう解らないだろう。それまではせめてそばにいたかった。
「強くなるしかないんです。」
背を向けたままの日本の方から震えた声がする。
「強くなるしかないんです。私のようなアジアの隅の小さな国が生き残るには、強くなるしか。」
揺れる声に合わせるように、細い肩が震えていた。
今、その肩を抱きとめてやれたら、少しはこの加速が止められるだろうか、と考える。
可能性はゼロに近いだろう。それでも、
それでもこの関係に、自分たちがこうして出会ったことに意味があるなら、きっとこの瞬間の為のような、そんな気がした。
大きく息を吸い込んで、イギリスは一歩日本の方へと踏み出す。
満月が空を支配する。
この眠れない月夜が明けるまでに心からの日本の笑みがみれたらいい、とイギリスはふとそんなことを思った。
ふたりあえたことに意味はあるとしんじていたかった。