イタリアはひなたが好きだった。
ぽかぽかと日のあたる、暖かいひなた。

日向が、好きだった。それは、今もかわらない。



子どもの時間



『俺、日向が好きなんだぁ。』

彼がそう言って笑ったのはいつのことだったろうか。いつにせよ、とても昔だったことは間違いない。
すくなくとも、こうなってしまう前。

ドイツはぼんやりと歩きながら考える。そう、こうなってしまう前。

家の裏口から出ると、そこは小さな庭になっている。石段と、それに続くテラス。
その真ん中でドイツは足を止めた。白いブランケットが丸まっている。その隙間からのぞく茶色の癖っ毛。

「イタリア。」


ぴくり、その声に反応するように茶色が揺れた。
むうぅ…と言葉にならない声。ドイツは苦笑しながらしゃがみこみ、丸く膨らんだブランケットを揺らす。
おきろ、もう夕方だ。

「どいつ…ぅ…」

まだ眠いのだろう。目をこすりながら起きあがったイタリアは、お…はよ、とつぶやきながらふにゃりと笑う。
その顔は見慣れたイタリアのそれで、ドイツはまた錯覚しそうになる。あんなことがあったなんて、夢なのではないか?
イタリアはふわふわと笑ったままだ。
イタリア、ドイツがそう言い終わるかどうかという瀬戸際、響いたのはイタリアの声。

「どいつ、まぁねむぃ。」

舌ったらずで幼稚な話し方。ドイツは出しかけた声をそのままのみ込んだ。
一瞬、苦い顔。それをなんとか笑顔で隠して。
あぁ、そうか、だが、もう夕方なんだ。
イタリアの手を引いて、家へと向かう。うーと不満げな声をあげるイタリアの手にはしっかりとブランケットが握られたまま。
ずるずる、引きずられるブランケット。地面についたところが土に汚れている。
見かねたドイツがそれを持ち上げようとすると、イタリアがとたんにぐずりだした。

「いやなの、これは、イタリアのなの!!!」

涙目。ドイツは顔を一瞬歪ませ、それから首を振った。
駄目だ、叱ってはだめなのだ。今、イタリアには5歳児程度の知能しかない。




きっかけは、よくは解らなかった。
戦争が終わって、平和になって、それでもあちこちで争いは絶えず、社会問題もまた大きくなった。
それが、原因なのか、それすら分からない。
国同士のいざこざなんて、大昔からあったことで、なにも今に始まったことじゃない。

否、理由なんてどうだっていいのだ。ただ、これだけははっきりしていること。
イタリアは、この世界を捨てた。


ゆっくりと、イタリアの精神が退行していると、気づいたのはいつだったろう。
解らない。ただ、すこしずつイタリアが幼くなっている、それは確か。
ある日、イタリアはドイツの家に行きつくことができなくなっていた。
シエスタの時間が長くなる。夜が起きていられない。
白いブランケットが手放せなくなった。親指を舐める癖の再発。髪をむやみにいじくっては絡ませて泣く。
そして、砂をこぼしていくように記憶は消え、思い出さえも、

医者は困ったような声で告げた。

『彼の精神は今、5歳といったところですね。』

『彼は、この世界を拒絶したんです』



「どいつ、どいつ、おはなー。」

ふくをぐいぐいとひっぱられて、ふとそちらをむけば、大輪の黄色い花。
イタリアは嬉しそうにそれを指差している。
あの後、幼くなったイタリアが懐いたのは、何故かドイツで。
服の裾を握ったまま離さない彼を見て、ドイツは知らずに決意していた。


『なら、俺がイタリアの面倒をみよう。』




「お花さん、おっきーぃいあー。」

「あぁ…あれは、ひまわり、だな。」

「ひまわりー。」

何が楽しいのか解らないが、嬉しそうに茶色がはねる。
ドイツの服の裾を離したイタリアはそのままひまわりの所へと駆け込んだ。
がさがさ、と草の揺れる音。

一緒に暮らすとは言っても、そこに以前のような甘さはない。
ただ、何も知らない子供に戻った彼を、
世界を拒絶した彼を、養育する。ただそれでも、共にいることさえできれば。

イタリアがきゃあ、と声をあげて笑った。
手にしていたブランケットはもう泥にまみれている。
また、洗濯しなければ。
溜息をつくドイツに彼は気づかない。
ときどき、その笑顔に心が揺れる時がある。昔のことは忘れなければならないと、そんなことは解ってはいるのだけれど


「はっぱさんー!!」


あぁ、どうして。


どうして、彼はこの世界を捨てたのだろう。
なにが、彼をこうしてしまったのだろう。

遠いようで近く、近いようで遠い日々を思い出す。
暗い夜のその中で、イタリアはよく呟いていた。

『あのね、俺、夢があるんだ。ドイツとずっと一緒に暮らすの。俺の家が、ドイツの家なの。素敵でしょ?』


「どいつ、どいつ、だいじょうぶ?」

ふと気づくと、イタリアがそこに立っていた。
悲しそうな顔だ。怪我でもしたのかもしれない。
大丈夫か?尋ねれば、ますます悲しそうな顔をする。
ちがうの。いたりあのことじゃあないの。
訴えてくるのは舌っ足らずな声。
ちがうの、あのね、

「どいつ、かなしそうなんだもん。」

イタリアの目からこら切れなくなったようにこぼれる雫。
そのまましゃがみこむようにぐずぐずと彼は泣き続けた。きらきらきら、雫は光る。
それは、地面に丸く染みをつくって、


本当に、どうしてお前は


なんだかどうにも心が苦しくてたまらない。
ドイツは目の前の体を抱きしめた。
食事をあまりとらなくなったせいだろうか、以前より一回り小さくなった背中。
泣きじゃくる彼の中に、今、この世のいざこざは何もない。
彼は、彼は、この世の汚いものを全て手放したのだ。
彼は退行をしたのではない、きっと、もっと先へ行ってしまったのだ。たぶん、自分には手の届かないどこかに。

どうしてお前は、俺を置いていってしまうんだろう。


ドイツ、どいつ。

イタリアが呟く。
くるしいよぅ。


「…すまん。」


体を離して、ドイツはイタリアに笑いかけた。
それにつられてイタリアも笑う。綺麗な笑顔。汚いものを、知らない笑顔。


「どいつ、かえろ?」

あぁ、そうだな、帰ろう。


ドイツはくしゃり、と目の前の跳ねた茶色を撫ぜる。
それが嬉しいのか、きゃあ、と笑う彼の顔は日を浴びて輝きをまして光る。



「ほら、みてどいつ。くもさん!!!!」

見上げれば、夕焼け空に、雲。

「ほんとうだ、な。」



天に向かって伸ばされた、その手を握りこんだ。


『ねぇ、聞いて。ドイツ。俺にはね、夢があるの。いつかね、二人で暮らすって夢。夕焼けの中をね。二人で手をつないで帰るの。
空には、雲が奇麗でね。それでね、二人で笑ってねぇ、』



帰ろう、帰ろう、二人の家に。
空には夕焼け。ひなたがとても暖かいから、2人で手をつないで。なぁ、イタリア、

お前は今、幸せなんだろうか。




前から書きたかったネタ。これは日本とフランスとの絡みも書きたいから続くかもしれない
精神退行という形なので、ドイツのことも覚えてはないです。ただ、優しくしてくれるからなついてる。
フランスのことも忘れてます。日本はもちろん。そんな感じ。