幕間C  ドイツとオーストリア


来ないで、叫ばれた声が耳について離れない。俺は呆然と廊下を歩いた。拒絶されたのは初めてだった。下を向いて、歩く。あのとき、何かに怯えるような、何かを消し去るような、そんな大きな叫びに驚いて入り込んだ小さな分かれ道。その先に彼…いや、彼女と言ったほうがいいのだろうか、とりあえず、イタリアは倒れていた。乱れた髪、乱れた服。そして、足元に、赤。
どうしていいかわからなかった、とりあえず、ここに置いておくわけにはいかない。そっと抱き上げた体は自分が思っていたよりずっと細く、ずっと軽い。こんなに、こんなにイタリアは細かっただろうか。柔らかな感触になぜか胸が苦しくなる。知らないうちに、イタリアは変わっていた。そして、俺は、


「…ドイツ。」

不意に呼ばれた声に顔をあげる。そこに、オーストリアの姿。立ち止まった俺を、彼は見つめる。

「なんだ?」
「…話が、あります。」

オーストリアの部屋は、居心地がいい。彼の趣味や、調度品の品の良さもあるだろうが、何故か懐かしい雰囲気がするからかもしれない。目の前に出される紅茶。部屋の棚の上にはたくさんの写真立てが飾られていた。彼の思い出。そのかけら。

「…話とは。」
「…イタリアのことです。」

彼は目を伏せたまま話すものだから、表情がみえない。角砂糖を紅茶の中に落とす彼は唇を軽く噛んでいた。砂糖がとけて、紅茶から湯気があがる。

「私は、結局のところ、彼女に何もしてやることができませんでした。傷つける以外何も。」
「…そんな言い方はしなくても、」
「いえ、事実なのですから、仕方ないですよ。」

砂糖が紅茶の中に入れられる。二つ目だ。こんなに普段、彼は砂糖を入れない。

「…何があったか、貴方に教えましょう。」
「…聞いても、いいのか?」
「聞いてほしいんですよ。あなたには。」

おとされる砂糖。溶けきらないそれは底にたまる。混ぜて、混ぜて、それでも溶けずに揺れる。きっとそれは人も同じだ。溶けきらない思いは底に溜まって、いつか露呈する。

「貴方しか、あの子を救えないでしょう。」
「…どういう、」
「私はあの子に幸せになってほしかった。それだけでした。なのに、私はそれすらできなかった。私では、無理でした。そしてこれからも無理でしょう。あなたにしか出来ないことなのです。あの子を、幸せにしてください。」

オーストリアが顔をあげる。微かに歪んだ顔にきらりと光る滴が、見えた。彼の向こうに笑うイタリアの幼い顔。俺は、黙ったまま頷く。

彼の、泣いた顔を見たのは、それが初めてだった。