1915年の片恋





フランスが、奴を連れてきた。

そいつは、茶色の髪をして下を向くばかりで何もしようとはしない。
俺は、そいつを知っていた。イタリアだ。

ある日、戦争が今にも始まりそうなそんな不穏な空気がヨーロッパにあふれ始めたころ。
フランスがそいつを連れてきた。そいつのことはよく知っていた。昨日までの敵だったからだ。


『こいつは、俺と協定を結んだんだ』


フランスは、俺にそう言った。


『今日から、こいつは俺達、連合軍の仲間だからな。』


昨日までの敵だった、茶色の髪のそいつは俯いたまま何も言わない。
何故、俺はフランスがこいつを連れてきたのか解らなかった。こいつはなんの役にもたたない。
確かに俺たちの側にはついているらしかったが、何もしない。
セーヌ川のほとりでただぼんやりと座っている。

同盟国への協力は拒否したらしいが、こちら側に立って参戦するわけでもない。
ただ、ぼんやりと座るだけ。

『何故こんな役立たずを置いておくんだ』

俺の糾弾にフランスは珍しく何も言い返さかった。ただ、自嘲するように笑って呟く。

『俺のエゴだよ。』


アイツが大人しく言われるままになっていることが、俺には少し怖かった。
戦争は長期化し、年内に終わるはずだった戦いは、年を越えた今でも続いている。
何とはなく、彼の元へ行った。セーヌの流れを見つめるだけの彼のところへ。

ぼんやりと座るままの彼のことをフランスが気にかけているのは端から見ても良くわかった。
それは、兄弟としての一応の情けからなのか、それとも他の何かに起因するのか、それは俺にはわからない。
わからないが、コイツはとにかくフランスの助けでここにいる。


「イギリス?」


音を立てないように歩いていたはずなのに、彼は俺がまだ遠くにいるにも関わらず、そう口にした。
彼は川の方を向いたまま、振り向こうともしない。
なのに、彼は続ける。


「何か、用?」


俺は少し驚いて、少し悩んでから、彼の隣に座った。
特に用はない。小さくそう言えば、そう、と返事が返る。
細い手首に、不自然なリストバンドが巻きついている。
なんでそんなものを巻いているのだろう。ふと思ったが、口には出さなかった。
きらきらとセーヌは流れる。フランスは確かに嫌味なやつだが、こういう景色は奇麗だと思う。
ラテンの奴らは芸術に敏感だ。それは良いことなのかどうかは解らない。
俺は、芸術に興味はなかったが、その代りにいち早い工業化ができた。
どんなことにも良い面と悪い面はある。

「イギリスは、俺のことどう思ってる?」

不意に彼が口を開いた。
俺は顔をあげる。彼はまだ川を向いたままだ。彼は続ける。

「同盟国として、同盟を結んでおきながら、裏切ってここにいる俺をどう思う?」

その声はしんとして静かで、しんとして重く、
俺は答えることができない。彼はぼんやりと川を見たままだ。不自然なリストバンドの白い色がなぜか目に痛い。
彼は自嘲するように笑う。俺ってさいていじゃない?

彼が、今の敵である、オーストリアやドイツのことを慕っていたことは知っていた。
昔、自分を占領していた国であるにも関わらず、慕っていることを俺は解っていた。
白のリストバンドがなぜかとても焦燥感をあおる。


「そんなことないだろ。」


俺は呟いていた。


「そんなことはない。国として生きる中で、多少は仕方ないことだ、と、思う。」


何故、俺はこんな奴の弁護をしているのか、それも解らなかった。
今日はやけに奇麗な空だ。川の流れも一定のリズムを刻む。
彼が顔を上げた。す、と目を閉じて


「イギリス、は優しいね。」


優しい、なんて言われたのはいつぶりだろう。
思わず俺は耳を疑って、でも彼は目を閉じたまま、浮かされたように呟く。


「優しいね、本当に。本当に、俺、ねぇ、おかしいんだ。迷惑ばかりで、あぁでも、良かった。これで、決心ついたよ。」


彼が目を開ける。風が吹き抜けて、水面を揺らした。
俺は、茶色から目が離せずに、


「俺、連合国側で参戦するよ。うん、もう迷惑かけられないから。」


茶色が揺れる。彼が、今日初めてこちらを向いた。
髪色と同じ、きれいな茶の瞳。彼は笑う。


「イギリス、よろしくね。」


何も、言えなかった。彼の笑顔は悲しすぎた。
俺は、不意にフランスが彼を手放せなかった理由を理解する。
頼りなげに揺れるその肩を、今は抱きよせたくてしょうがなかった。




仏伊の話『1918の幻惑』と微妙にリンク。
彼を手放したくなんかない