*学パロです
*しかし、学ヘタではありません。
*このことを了承の上、どうぞ。
僕らはきっと大丈夫
今日も授業が終わった。私は黙って鞄に教科書を詰める。私の横を今日もさまざまな色がすり抜けていく。金色、茶色、赤茶、アッシュ、彼らは私にとっての異国人であり、そして彼らからすれば私は異国人だ。私は教科書を詰め込んだ鞄を右脇に抱える。前を通った人の瞳は突き抜けるようなブルー。
私はこの教室の中でひたすらに濃い黒を持つただ一人の人物であるが、それを別段恥じたことはない。自国を恥じるなど愚考の極みだ。自国には誇りに持たなくては。私は選ばれたのだから。遠い遠い私の祖国、そこで留学生として一人選ばれたのが私だった。それは最高に名誉あることであり、喜ぶべきことだ。だから、泣き言はいけない。
「あ、ホンダ?ちょっといい?」
教室を去ろうとしたとき、不意に声がかけられた。見上げた先に緩いウェーブかかった金色が映る。誰かは見なくとも解った。彼女はこのクラスの級長をしているのだ。私とほとんど変わらないくらいの身長の彼女は立ち止まった私の前でうざったそうに豊かなブロンドを掻き揚げた。揺れる空気に胸焼けするような香水の香り。
「なんでしょう?」
「あのさ、アタシ今日、用事あるんだけど、代わりにこの書類を生徒会長のところに出してくれないかしら?」
彼女の英語は微かに訛りがある。それは、この国の人々にとっては気にならない程度だろうが、私には少々聞き取りづらい。英語力を買われてここに来た私ではあるが、それでも私が学んできたのは綺麗な正統英語。だからこのような訛りにまでは対応しきれていないのが現状だ。
「え、と、書類を、」
「あー・・・えとね、出すの。テイシュツ!submit、解る?」
submit、そう聞いて、なんとか頷いた私に、じゃあよろしく、と彼女は乱雑に私の手の上
に書類をのせた。それと同時に大きな溜息。通じないからヤなのよ。書類を乗せる瞬間に彼女が呟いたその台詞だけは、早口なのになぜかはっきりと聞こえた。気分が悪い。軽く頭を下げて、慌ててその場を去る。
『あれ、お前今日なんか書類ださなきゃいけないんじゃねぇの?』
『あぁ、あんなのいいのよ。ジャパニーズに任せたから。』
『任せていいのかよ。』
『いいのよ。どうせ留学生なんて授業料免除でしょ?このくらいはしてもらわないと!』
軽く笑い声が起こる。話し声が私の背中を刺した。気分が悪い。悪い、悪い。私は俯いたまま教室を出る。口の中にネルの生地を詰め込まれたような酷い味がした。気分が悪い。誇りを持たなければ、自分に、自分自身に。
「・・・ホンダ、」
どの位走っただろう。聞こえてきた声に振り向く。金色の髪と緑の瞳。会長だ。書類を、と手を出そうとして、その瞬間、めまいが襲った。軽い息切れと動悸。寝不足なのに無理して走ったからだろうか。よろめいた私に彼は驚いたように手を出してくる。暖かく、白い手だ。私とは違う。
「…大丈夫です。ご心配なさらず。」
伸ばされた手を軽く払って体勢を整えた。大きく呼吸して、頭を一回振る。大丈夫。なんとか。彼はまだ困ったように出しかけた手を宙にさまよわせて、それからそうか、と呟いた。彼は私が異国の民であり、黒をまとっていても何も差別的な目で見なかった数少ない人物の一人だ。アーサー、と名前の彼はどうやら良いところの家の出らしい。彼はあまりそういったことを話さないが、いまどき綺麗なキングス・イングリッシュを話す人など、名門出に決まっているのだ。彼は遠いアジアから来た私に酷く丁寧にしてくれた。割と気軽に話せる人でもある。
「それより、これを。」
「…これは、運営用の書類?」
手に持っていた書類を突き出すと、困ったように彼はそれに目を通した。一読してから、顔を上げた彼の表情は硬い。どうしたのだろう。不備だろうか。
「お前、何でこれを持ってるんだ?」
「…他人が見てはいけないものでしたでしょうか?」
「いや、そうじゃない…が、これは級長の仕事だろ?」
とんとん、と書類を指で軽くたたく彼は少し機嫌が悪そうだ。意味が解らずに頭をひねる私を見て、彼はさらに苛々したように眉をひそめた。
「どうしてホンダがこの仕事をしているんだ。」
「…頼まれたものですから。」
「…別に、やる必要のないことは引き受ける必要はないだろ?断ればいいじゃないか。これは彼女の仕事だ。」
彼は苛々したような口調で、書類をまとめると、それから一度小さく舌打ちをして、その場を去っていく。残されたのは私ひとり。なぜだか、酷く自分が惨めに思えた。私は呆然と立ちすくんで、それから鞄を抱えて帰路につく。
『あのさ、ジャパニーズって結構何でもやってくれるから使いやすいって!』
クラスの傍を通ったときに甲高い彼女の声が聞こえて、なんだか不意に悔しくなった。
今日は朝から頭痛がやまない。
風邪でも引いたのだろうか。そういえば、最近体がだるかった。そのうえ、無理してレポートなど仕上げていたから。(あぁでも仕方ない、締め切りが近かったから)ふわふわと体が浮くような感覚。熱があるのかもしれない。授業のチャイムとともに席をたつ。今日は、早く帰ったほうがいい。帰って、休んだほうが。鞄に教科書を詰めているとき、不意に後ろから声が響いた。
「ホンダ!」
「…あ、こんにちは。」
「悪いんだけど、今度の学級委員会議、代理頼める?私忙しくて。」
くらくらする視界に彼女のブロンドの髪が揺れる。あぁ、くらくらする。くらくら。でも、頑張らなくては。私は国家の、アジアの代表としてここにいるのだから、だから私はやらなくては、私は。
「構いませんけ…」
「お前、何を頼んでるんだ!」
また、声。振り向く先に綺麗な金色と緑。あぁイギリスさん。
「…本当に忙しいんだから仕方ないでしょ?」
「お前、ホンダを足で使って楽しいのか?」
「いいじゃない!どうせそんなの、アジアの人間でしょう!?」
あぁ、もう、いやだ。
めまいがする。くらくらする。アジアの人間、アジア。アジアは遅れているのだ。だから。
「そんな言い方をするな!…だいたい、ホンダも断ればいい!」
どうして、どうして、
皆、私を表立って馬鹿にはしない。日本とイギリスは同盟国なのだ。馬鹿にはしない。けれど、この階級社会において、未だアジア人が挌下に見られているのは事実だ。皆の視線でわからないほど私は馬鹿じゃない。くらくらする視界に揺れる彼女のブロンド。揺れる彼のブロンド。そして私の黒、黒の目、色の違う私。私は。
「そんなこと、アーサーさんは皆さんと同じだから言えるんですよ。」
ぼんやりとした頭で必死につむぐ言葉はもはや自分でも何をいっているのかいまいち理解できていない。私はただ、呟く。胸のうちから気持ちが湧き上がるようだ。止まらない、とまらない。
「同じだから、いえるんです。私はいえない。違う私にはいえない。追いつかなくてはいけないのに。追いつかなくては、いけないのに。馬鹿にされないように。違う私は、私は。」
揺れる揺れる、視界が、頭が。
「――本田!!」
ぐらり、と銃身が傾いた感覚がして、世界が白に染まった。意識が遠くなる。全てが遠くなる。最後にアーサーさんが駆け寄ってくるのが遠くに見えた。
「…あ、」
「気がついたか?」
目を覚ますと、白のカーテンが目に映る。救護室だろうか。私はベッドに寝かされていて、そのそばにアーサーさんの姿。必死に記憶を巡るが、その記憶は視界が白く染まったところで途切れて消える。起き上がろうとした私を、彼の手が止めた。
「倒れたんだ。安静にしてるほうがいい、と思う。」
「倒れたんですか。」
「…熱があった。39度。」
そんなに。道理で体がだるいと思った。すいません、と呟くと彼は困ったような表情をした。しん、と静まり返る部屋。白のカーテンが揺れる。沈黙の部屋に夕暮れの西日が差し込む。
「…さっきのこと、だが。」
「あれは、申し訳ないことを言いました。反省しています。」
「いや、いいんだ。別に。あれは俺も悪い。けど、」
彼は呟いて、視線を外に向ける。少し、顔をしかめた彼は言葉を捜しているようだ。その向こうに見える時計は私が最後に意識があったときの時刻からたっぷり1時間はたっていた。その間、ずっと彼はここで私を見ていてくれたのだろうか。
「あんな風に、自分のこと、言うなよ。」
西日のせいで、こちらを向いた彼の表情は見えない。暗く染まった彼の顔はそれでも確かに歪んでいた。彼の金色が太陽の光を受けて輝く。
「自分を、卑下するな。それに、」
きらり、彼の頬に光る何かが見えて、私は目を見張って、そして、気づく。彼の声が震えていること。彼の目が濡れていること。
「苦しいのが、自分だけだとおもうな。俺にも、苦しみはある。」
彼の英語は、綺麗なキングス・イングリッシュだ。こんな綺麗なキングス・イングリッシュを話せる人はイギリスといえどそれほどもう多くはない。彼は、名門出身だ。悩みなんてあるわけがなく、あぁ、でも、
私は本当は知っているのだ生徒会長にのぼりつめた彼に皆が言っているうわさ。彼は名門出身だからきっと選ばれたにちがいない。あいつはお坊ちゃまだから。あいつは。私はその背に国家を背負い、そして彼は家を背負う。外を向いてしまった彼の顔はもう見えず、濡れた瞳はもう見えなかったけれど、出されたままになっていたその手を私は握りこむ。細くて白い手だと思った。辛いことも抑えてきた、その手だと思った。
「私は、あなたの英語は、美しいと思います。」
呟いた私に、彼は驚いたように振り向いた。彼が私のことを思ってくれていることは知っていた。ずっと彼が私のことを考えていてくれたことは。彼は困ったように笑いながら、私のことを抱きしめる。緩い体温。明るい夕日。彼は言った。
「俺も、お前の黒髪が好きだ。」
耳元を揺らす空気はなんだかこそばゆくて、私は笑う。ひさしぶりに、笑った気がした。彼も笑う。
「初めてみたときに、驚いた。綺麗で、それで、」
守りたくて。
彼の英語は綺麗はキングス・イングリッシュだ。それは多分いつまでたっても直らないだろう。私の髪は黒だ。それもおそらく直らない。それでも、きっと大丈夫だ。肩の力が抜けるのを感じた。幸せだった。久しぶりに。彼の笑顔は新鮮だった。彼の笑顔も、私は始めてみたのだ。
抱き寄せた体温が幸せで、私は目を閉じる。ゆっくりと眠りに落ちる瞬間に、好きだと声が聞こえたきがして、私は小さくまた微笑んだのだけど。
人と違ったっていいじゃぁない。