叶わないはずの夢でした
寒い、と彼は言った。
僕はそれを聞かないふりをしてただ彼に口づける。彼の体が一度震えて小さな息が漏れた。寒い、あぁそうだろうね。他の国ではどうかしらないけれど、僕の家ではもう寒さが身にしみる季節だ。その中でシャツ一枚なのだから寒いにはちがいないのだ。下にもなにもはいていない彼の状況は見た目からして寒そうだ。それでも僕は何もしない。彼はすがるように僕に手を伸ばす。僕は体をかがめてキスを深くした。何もしてやるつもりはない。彼が僕を求める分には僕は拒まない。ただ、自分から何かをすることもない。これが自分に決めたルール。
「寒い…よ。」
彼はまた呟いて、それから僕の首に手をまわした。僕は彼とは対照的に服を着こんでいて(あぁそう、僕はマフラーすらはずしちゃあいないんだ)だからこのシーツしかないベッドの上で暖かさを得るためには僕にすがるしかない。彼の手は僕のマフラーに絡まって、マフラーは緩く解けかけた。キスをしながらゆっくりと彼の背に手をまわして抱きよせてやると、冷えた彼の体温が伝わってきた。彼はほぅと安心したような息を吐く。その息が耳にかかって、僕は目を伏せる。そう、こんなに部屋は冷え切っていて、それでも彼の息はとても暖かい。恒温動物はいつだって体温を一定に保つものだ。
「ロシアは、脱がないの?」
彼は僕のマフラーをいじりながらそう口にする。僕はさぁね、とだけ返した。彼がどうして僕とこんなことをしているのかなんてそんなことは解らない。彼にはもっと親しくしている人はたくさんいて、なのに彼はなぜか僕のところにおちてきた。彼は僕と同盟を結んでいるわけでもない。国交が盛んなわけでもない。なのに彼は僕のところに落ちてきた。手に入らないと思っていたものが落ちてきた。
「ん…ぁ。」
首筋に歯を立てたら彼は小さく甘い声を出した。彼は声を殺すことがない。彼は自由に生きている。僕と違って自由に。
「ねぇ、イタリア君。」
「んぅ…なぁに?」
鎖骨辺りを舐めながらの僕の声に彼が鼻にかかったような甘い声で返す。僕はゆっくりと体を起こした。彼が露骨に不満そうな顔をする。その尖らせた唇を宥めるように指で撫ぜて僕はマフラーを外した。
「僕は、凍らない海が欲しかったんだ。暖かな大地が欲しかったんだ。なのにどれも手に入らなかった。」
「そうなの?」
「なのに、思いがけず一つだけ欲しいものが手に入っちゃったんだよ。」
微笑んで、僕は外したマフラーを彼の首に巻きつける。寒さがましになったのだろう、彼は嬉しそうに笑った。白い僕のマフラーを軽く左手で握る。
「それは良かったね。なんだか俺まで嬉しい。」
笑う彼はとても温かい。
あぁ、手に入ったよ。温かい、暖かい君が手に入ったよ。もう放したくない。ずっと昔から欲しかった君。太陽に恵まれた君。彼の胸元にペンダントが光っている。彼は僕とこんな関係になってもそのペンダントだけは外そうとはしなかった。それを見るたびに苛立ちを覚える僕がいる。僕はそのペンダントを見つめていて、それでも彼は僕の視線にすら気付かない。ただ、良かったね、と繰り返している。
手に入ってしまったらもうはなしたくなんてないよ。それが常識ってものでしょ?彼の首には白いマフラーが巻きついている。もしそのマフラーの両端を持って強く引っ張れば、彼はもう僕のものになるのかもしれない。僕は手をのばしかけて止める。そうしたらこの暖かさは失われてしまうと、そんなことは解っているのだから。
僕の伸ばしかけた手を彼が優しく握る。そのまま指を口に含まれた。笑った彼の赤い舌が僕の指に這うのを見て僕は漸く馬鹿な考えを止めて彼の茶色の髪に顔をうずめた。
手に入ってしまったものはもう手放せない。