あおのゆめ



ひさしぶりに訪れた日本の家はしんとしずまりかえって怖いくらいだった。
嫌な予感がする。静かなだけなら良いのだ、ただ、気配がない。なんの気配も。

部屋へと続く廊下に違和感。くるりと辺りを見渡して漸くその元凶に思い当たった。
ほこりだ、ほこりがおちている。
この家にこんなものがおちていたことはいままでなかった。
日本は、彼はとても奇麗好きなのだ。いつも顔がうつるのではないかと思うほどに磨かれている 床に今日はほこりが。

嫌な、予感だけがあった。なんの確証もない。あるわけがない。
いまでは、自分と彼の距離は遠くなってしまったのだから。

『同盟解消ですよ、イギリスさん』

『これは私たちにはどうすることもできないことです』

しんとしずまった廊下はただただ不吉な予感ばかりを告げる。



「日本、日本、いるのか?」


返事はなかった。ただ、いるはずだ、という確信じみた何かがあった。
廊下を駆け足で進む。どこにも人の姿がない。
国民は何をしているんだ、思わずもれたのは舌打ちだった。
国がこんなことになっているのに気付かないのか?


狭い廊下の先は、日本の書斎だ。(記憶が確かなら、ではあるが。)
そのままドアを開ける。鼻につく本の香り。あぁ、やはり書斎だ。
埋め尽くされた本棚(あぁそう、日本は勉強家だから)。
その向こう。まるまったタオルケットに、黒髪。


「日本!!!」


大声に、しかし彼は身動きすらしない。
近づいてゆすってみるが、彼が起きる気配はなかった。
息はある。寝ているのだろう。

「日本!」

変だ、変すぎる。なぜ、ここまでしても起きない?
床に転がるものに気付いた。アルミニウムにくるまれた錠剤。青い錠剤。


あぁちきしょう、

国民は、何をしているんだ?


「起きろ!おい!」


強く揺さぶる。漸く、その瞼が開いた。漆黒の瞳が迷うように揺れ、自分をみて止まる。

「あぁ、イギリスさんでしたか?久しぶりです。」

ゆっくりと言葉を紡ぐ日本の目に生気はなかった。
顔をしかめたままの俺の腕の中で日本はたゆたうように揺れる

「まだ、眠いのです。寝かせてくれませんか?」

笑顔。ほんの少し俯いた顔は確かに眠そうだ。
床を見る。ほこりの舞う部屋。アルミの鈍い輝き。青の錠剤。


「眠いのは。この薬のせいか。」


握りつぶすように錠剤を持ち上げれば、とたん、日本が目を見開いた。
細い手が伸びる。

「返してください!」

「こんなものがなんだっていうんだ?こんなん飲んでなにがしたい!」

「それは貴方が思っているようなものではありません。ただの睡眠薬ですよ。…返して下さい!」

「それくらいはわかっている!」

「なら何故!?」


勢いをつけてきた彼の手にアルミの袋は奪い取られる。震えるような手で破かれた袋の中には青の錠剤。
眠りにつく為の薬。


「…眠れないのか?」

「いいえ?」

「だったらなんで、」


顔をあげた、彼は悲しい目をしていた。
遠くで声がする。天皇、ばんざい。


「眠りたいのです。ただ、深く。何も、考えたくなど、ないですから。」


国民は、いつのまにか国を振り返ることがなくなったのだ。
自分たちの熱に酔うように、何かに駆り立てられるようにはしりだした国民は国のことを考えてなどいない。
俺は顔を伏せた。別に今の日本だけではない。いつだってそうだ。いつだって、走り出した国民は国など顧みない。
思わず、目の前の細い体を抱きしめた。書斎の窓から漏れる光は暖かい(そう、こんな時ですら太陽は暖かいのだ)

「…私には、いまの国民のみなさんのことも、上司のことも、わかりません。」

呟く、日本の声はまどろみに揺れはじめている。

「貴方と、同盟を組んでいた時は良かった。あの頃は、本当に楽しかったのですよ。
…今ではもう、私にはわからない。国民のみなさんの考えも、なにもかも。あぁ、こんなことなら、」


国としてではなく、貴方にであいたかった。



そうしてこうなってしまったのだろう。
遠くで聞こえるこの国の国民の声を聞きながら思う。
国に生れるなんて因果なものだ。
国に生れた俺達に、国民や上司に対する反論権はない。俺達は従うしかない国民に、上司に。
見守るしかない。この世界を、行く末を。


「寝る前に、ひとつお願いしてもいいですか?」


眠そうに目を閉じかけた日本が言っている。
俺は何も言わずうなずいた。

「キスしてください。」


黙ったままで交わしたキスは、微か塩辛い涙味。


俺達の手の届かないところで、世界は混乱へとすすんでいる。
どうしてよいかなんて、俺にもわかりやしない。

アルミの鈍い輝きに向けて、俺は小さく舌打ちした。



アルミに包まれた青い錠剤=ハルシオン
夢もないくらい深く眠りたいのは私も一緒。