最近、日本の様子がおかしいのだ。
一か月同棲生活
18日目
それは、ささいなことだった。
たとえば、彼は普段あまり感情をあらわにしないのに、最近は酷くイラついている。
たとえば、以前よく使っていた書斎を使わなくなった。
それは、多分以前の自分なら気付かなかったことで、多分、共に暮らしていたから解ったことだ。
そして、今にいたる、のだけども。
「…」
俺は顔をあげて、目の前に座る彼を見る。
苛々しているのが済んだと思ったら、今度は酷く塞ぎこむようになった。
理由は解らない。ただ、部屋からあまりにでてこなくなった。
一日くらいなら別に構わない。だが、二日目になれば話は別だ。
食事すら部屋から出たがらない日本を半ば無理やりここに出したのが一時間前。
彼は、話そうともしない。
「…日本。」
「なんでしょう?」
「…いや。」
そんな風に聞き返されたら何も言えないじゃないか。
困ったように下を向いた自分の前で日本はただ本に目を落としている。
なにか、気に障るようなことを、しただろうか。
彼は何も言わない。
「…日本。」
「だから、なんですか?」
「…へ、部屋に閉じこもるのは良くないんじゃないか?」
沈黙に耐えきれなかったのは自分だった。
彼は下を向いたまま顔も上げず、俺は思いついたままに話す。
「少しは、外に出た方がいいと思う。が、ど、どう思う?」
「はぁ。」
彼は顔をあげない。言葉を間違ったかもしれない。
迷う俺の前で、不意に彼が動いた。
一瞬の逡巡の後、彼が口を開く。
「そうですね。少し、おかしいですね。…外に、出てきます。」
かちゃり、扉を開けて出ていく彼を見送って、俺はため息ひとつ。
何があったかわからないが、彼はどうにも機嫌が悪いらしい。
顔をあげた俺の目にふと、彼の部屋の扉が見えた。
彼がずっと出てこなかった部屋の扉だ。
彼の、部屋。
それが、褒められた行為ではないとそんなことは解っているのだ。
ただ、その気持ちを抑えられなかった。
そっと彼の部屋の扉に手をかける。
俺は、あえてこの家の部屋に鍵はつけていない。
自分の部屋にも、彼の部屋にも。
それは自由な雰囲気を持たせたかったからだ。少しの罪悪感。でも、彼がこんな風になった原因はここにある気がしてならないのだ。
それを知りたいと思った。だから、
かちゃり、
音を立てて開いた扉の向こう、その景色に俺は息をのんだ。
部屋が、荒れていた。
壁に取り付けられた棚の上の本は乱雑に倒れている、ベッドの上にはくしゃくしゃのままのタオルケット。
机の上には物がおきさりにされている。
何があったのだろうか。解らないが、何かがあったのは確かだった。
ゆっくりと部屋に入る俺の目にふと、白い封筒が映った。
机の上におきざりにされた封筒。
白い封筒。
それは乱雑な机の上にありながら、その周囲10センチほどには何も置かれていなかった。
何かを恐れるように、その周りには何もなかった。
そっとそれを手に取る。表になぐり書き。
「イギリスへ…?」
裏をめくる。アメリカ。の文字。
あぁそうだ、この癖字は、アメリカのものだ。
懐かしい記憶が蘇る。彼はBの字が歪んでしまう妙な癖字を持っていて、いつも自分はそれを直そうとしていた。
結局直らなかったけれど。
「でも、なぜこれを日本が…」
「…!何してらっしゃるんですか…!イギリスさん…!」
不意に、声が、した。
慌てて振り向いた自分の目の前に、日本。
彼の手から買ってきたらしいリンゴが落ちて嫌な音をたてる。
彼は必死だった。
言いわけをしようとした自分の、その言葉すら聞かず、俺の手から手紙を奪い取る。
俺は、何もできずただ、呆然として、
それでも、はぁはぁと肩で息する日本を目にして、一つ、仮定が浮かんだのだ。
「その、手紙、」
「すいません、本に挟まっていたので、見てしまいました。申し訳ないとは思ったのですけど、その、」
「違う、それはいい。ただ、その手紙が、」
つまり、その手紙こそが、
「お前がおかしくなった原因なのか?」
原因なのではないかということ。
慌てたように彼は顔をあげて、あぁそれだけで確証は十分だった。
彼は泣きそうな顔で下を向いて、それから頭を抱え込む。
手からくしゃくしゃになった手紙が落ちて、白いそれと茶色の床のコントラストが酷く気に障った。
黙ったままの彼にのばそうとした手は彼によってはじかれる。
彼は顔をあげた。
「そうです、よ。そうなんですよ。それが原因なんです。」
「日本、」
「馬鹿だと思いませんか?こんな手紙に嫉妬してるなんて。」
「嫉妬?」
彼は自嘲するように笑う。
その手が震えていた。
「嫉妬です。私は、貴方を何もしらないのに、その手紙にはそれがあるから。時間があるから、私は。」
笑いながら、彼は泣く。
ぽたぽたと零れた涙が白い封筒に染みていびつな形を描いて消える。
「私は、貴方を知りたいです、イギリスさん。私は、貴方が、」
(好きです)
一瞬、そう彼の口が動いて、瞬間、俺は部屋から押し出されていた。
目の前で扉が閉まる。
呆然とした俺の前に扉は無情に立ちふさがって、それを叩くべきか俺は迷う。
手を伸ばしかけて、やめた。
頭が混乱している。
俺は顔を伏せた、ちらつくのは白い封筒の残像。
「ちくしょう。」
呟いた。彼にではなかった。何もできない自分にだった。
ふたりの思いが通じあうまであと少し。
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