今でも時々、思い出す夢がある。
それはずいぶん昔に、そう、自分がまだ小さな国で、フランスやら大陸の国にびくびくしながら暮らしていたころのことだ。
それは、色彩鮮やかで、俺にしては珍しく音声やら感触まではっきりとおぼえているものなのだ。

それは、普段は忘れているのに、ふと思いだす夢だ。

あのころ自分は小さな島の中一人生きるしかなくて、それはとても悲しいことだった。
友達がいなかったわけではない。俺の家には妖精とか沢山いて、別に寂しいわけではなかった。

寂しいわけではなくて、ただただ悲しかった。
一人で生きる自分が悲しかった。

そういえば、この夢を思い出すときに一緒に浮かぶ思い出がある。

あの夢を見た前の晩、俺はどうにも悲しくなって、それでユニコーンの頭を撫でながら、小さく頼んだのだ。

『どこかにいる、国にあわせてください。俺と同じに島に一人で、俺とは違う何かを持った国。』

それは子どもじみたたわいもない頼みで、だけどそのときは真剣だった。
そのとき既に俺はとても眠くて、だからそれからのことはよくはわからない。

ただ、一つはっきりしていることといえば、俺はそのとき夢をみた。
極彩色の夢を見た。
忘れられない夢を見た。


それだけ。




夢のあとさき


Act,1

夢、を見ている。
夢、夢だ。なぜだろう。俺はこれが夢だとわかる。

緑の草木が揺れている。春の山々。歩いているのは、苔の生えかけた石段だ。
不意に既視感に襲われた。あぁ、なんだったろう、ここを自分は見たことがある。

とたたたた

どこからか、音が聞こえてきた。
どこだ?頭をめぐらせて、音をたどる。下だ、石段の下から誰か上ってくる。
身を隠すべきか、一瞬考えて、しかし思いとどまった。
これは、夢なのだ、夢。夢でまで、隠れる必要があるか?

足音は大きくなってくる。
これは、なんだろう。いやに軽い音だ。

とたたたた。

そうか、これは子どものそれだ。
気づいて顔をめぐらす。瞬間、それまで木陰に隠れていた子どもの姿が自分の前に現れて。

思わず息を呑んだ。



あぁ、こいつは、俺、だ。



金色の髪。緑の瞳。
不安そうで、それでも好奇心を隠しきれてはいない、そんな表情で駆け上ってくる子ども。
それは、どこからどう見ても、昔の俺だ。
ふわり、風を受けて広がるマント。走ってくる姿にどうしていいかわからず、俺を身をすくめて。
ぶつかる、そう思ったそのとき、体を通りぬけたのは風。
何が起こったのかわからぬままに振り向けば、幼い俺は、何もなかったかのように走り去っていくところだった。

すり抜けたのか?

慌てて手を伸ばして、揺れるマントの端に触れようとする。
しかし、その手は空を掴んで落ちた。

触れない、まるで蜃気楼か何かのように。

そこまで考えて、唐突に俺は思い出した。
この風景、石段、駆け上る俺、

あぁ、そうだ。これは、この風景は、


「夢だ。」


あのときの、夢だ。




俺は慌てて石段を上る。
もし、これが本当にあの夢の中ならば、もうすぐあの幼い俺は、あの人に出会うはずだ。
あの夢の中現れた、笑顔の綺麗なあの人に。

駆け抜ける、目の端に移るのはももいろの花。

この花は桜だ、と教えてくれたのもあの人だった。
駆け上る先に、幼い俺が立っている。
山の中腹、高台の広場。

そう、ここだった。ここで。



〜♪



楽器の音がする。
ヨーロッパにはない、長音を多用したどこか切ない響き。
笛だ、笛の音だ。


『誰か、いるのか?』


目の前で、幼い俺が叫んでいる。
いる、いるんだ、ここに。

ざぁ、と風が吹いた、ももいろの花びらが散る。
不思議な形をした屋根の家、その玄関口に座るようにして、その人はいた。
白い服に、赤い紐。風に舞うももいろの花びらに合わせるように笛を吹いて。


『あ、…』


幼い俺の声に気づいたのだろうか。笛の音がやむ。
風に煽られ、揺れる髪は見たこともないような深い黒。
そっと目を開けた彼は言った。

『どなたですか?』

不意に、また思い出した。彼の瞳も吸い込まれそうに深い黒をしていたのだ。




Act.2

「どなたですか?」

俺に尋ねてくる、声が優しい。
俺はちょっとうれしくなって、でも、むっつりを決め込む。
すぐに心を開くのは、馬鹿なラテンの奴らだけでいいんだ。俺は違うからな。

さっき、寝たはずなのに、俺は起きたらここにいた。
だから、これは、冒険なんだ。
ピーターパンも、ジャックと豆の木のジャックも、みんな冒険をしていた。
俺も、冒険するんだ。

目の端に映る、黒髪は光を受けて輝いている。
きらきらきらきら。
光る黒は綺麗だ。それは認める。


「…貴方の髪、綺麗ですね。」


ぼんやりと黒髪を見つめていたら、目の前のヤツが突然話し始めたから、俺は驚いた。
身をすくめた俺の前で、ヤツは白い服の袖を捲り上げる(その服はやたらにすそが緩いんだ)
その手は俺のとは少し色が違っていた。でも、綺麗な手だと思う。

「別に、金色なんて普通だろ。それより、お前の黒髪のほうが珍しい。」

「…私は、日本といいます。お前じゃなくて、できれば、名前で呼んでいただけませんか?」

「…日本?」

聞いたことの無い響き。
俺の住んでいるあたりの言葉とはまず語感から違う。
日本。繰り返す俺に目の前の彼、日本は言った。

「えぇ、日本です、貴方は?」

黒い瞳がこちらを見ている。それに目が釘付けになった。だって、彼は、
笑顔。笑顔なんだ。

俺に笑顔が向けられるなんて、そんなのめったに無いことで。
俺は基本的に大陸のやつらとはちょっと違うし、だから仲間はずれが多くて。
何よりもまず出たのは驚きだった。それから、何か熱い感覚。


「…イギリス。」


気づいたら、名前を言っていた。
目の前の彼は笑顔のまま、良い名前ですね、と言った。
細い手が伸びて、俺の頭を緩く撫でていく。

「イギリスさん、貴方はきっと遠くから来たのですね。」

「どうして?」

「このあたりに、金色の髪の方など、いらっしゃいませんから」


だとしたら、ここは遠いところなんだろうか。
俺は、寝たとおもっていたのにな。なんでそんな遠くに来たんだ?
解らないまま、上を見上げる。
目が合うと、彼はまた綺麗に笑った。
その向こうからももいろの花びら。
そういえば、この花は、あちこちに咲いている。綺麗。
彼の黒髪に妙に合っているから。

「桜が、気に入りましたか?」

「さくら?」

「その、ももいろの花ですよ。桜っていうんです。」


さくら。なんだか丸っこい名前だ。手にかざした花びらはまだみずみずしい。
見上げれば、木一面にももいろが咲き誇っていた。
見上げる俺に、彼は話続ける。

「この花は、三日で散ってしまうんですよ。」

「三日?短くないか?なんのために咲くのかわからないだろ、それじゃ。」

「…はかないからこそ、美しいものだともいいます。」

桜から目を離してそっと彼を盗み見る。
彼もまた、桜を見上げていた。黒髪が微かに頬にかかって、揺れるのは白い袖口。


「日本は、一人で住んでいるのか?」

「…えぇ、まぁ。」

「…なぜ?」


風が吹く。白い袖口が揺れて、彼はこちらを向く。
そこに浮かぶのは、やはり笑み。ただ、それはどこか寂しく。

「私は、国ですから。島に一つの国ですから。…貴方も、」

俺に目線を合わせるために、しゃがんでいてくれていた、彼が不意に立ち上がる。

「貴方も、国でしょう?」



国、国、国だ。

俺は、少し混乱した頭で考える。
いや、彼が国だというそんな予感はしていた。だけれど、いざとなるとやっぱり驚く。
フランスや、スペイン以外にも、国っていたんだ。とかいろいろ。
それに、今、島って。

「俺、俺も一人で。」

「一人で?」

「島、で一人で。」

「…悲し、かったでしょう。それは。」

「…」

「…わかりますよ。私も悲しいから。」

笑う。彼の黒髪が揺れる。
俺はなんだか凄く、これまでで一番、胸が熱くなって。
気がついたら、泣いていた。
白い手が、その涙をぬぐう。

とても幸せで、なんだか涙が止まらなくて、でも悲しくはない。不思議な気持ち。


「に、ほん。」


ぐずぐずと涙を流したまま、見上げた彼はやっぱり綺麗に笑っていた。


「俺、すぐに大きくなる。大きくなるから。大きくなったら、と、ともだちに。」

「ともだちに?」

「ともだちに、なってくれ。」


みっともなく声は震えて、何言ってんのか俺自身にすらわからなくて、
でも、俺の目線の先、日本は微笑んだまま、確かに言ったのだ。


「えぇ、約束しましょう。」


はかないのが美しいなんて、俺は思わない。
だから、何年たっても、この思いは忘れない。
ぐずぐずになった視界の向こうで、彼が笑っている。
その手はただただ、暖かかった。









Act,3



『大きくなったら、と、ともだちに、ともだちに、なってくれ。』


さっきの幼い俺の言葉が脳内にリフレインする。
ベッドの上に座ったまま、俺は軽いめまいに耐えていた。
恥ずかしい。よりにもよって友達になってくれ、とは。そんな、そんな。


「俺、やってること変わってねぇよ…」


はははは、と乾いた笑いが出て、それからはぁ、と溜息一つ。
自分に都合のいいところだけ忘れていたのかもしれないが、これはちょっと酷かった。
今でも俺はまだ一人ぼっちだっていうのに。
よろよろとベッドから出て、朝の準備。

今日は、新しく国際の波に出る国があるらしく、そこに会いに行くのだ。
少し前にアメリカが開国させたらしい。まぁあの馬鹿がやりそうなことだ。


「イギリス、準備はできたか?」


上司の声がする。
俺もあの夢を見たときからずいぶんと変わった。
あのとき言ったとおり、俺はぐんぐん大きくなったし、沢山の国と知り合った。
俺の上に立つ上司も次々と変わり、俺もまた変わっていく。
数多くの出会いがあり、また別れもあった。

それでも、忘れてはいない、あの約束。
ともだち、になりたかった。あの国と、結局あの約束のあとすぐに夢は覚めてしまったのだけれど。
細い手を思い出す。今なら、あの手を握り返せるのだろうか。


「あぁ…今日は、新しい国に会うんだったな。」

「そうだ。」

「…なんて国なんだ?」


「日本。」






『大きくなったら、ともだちに、なってくれ。』


『えぇ、約束しましょう。』




夢の中で散々聞いたその名前を聞いた時、ももいろの花の残像が、不意に頭をよぎった。






いまなら、君の手を取れる。
リクエストありがとうございました。