人は誰しも生まれるときに何か一つ持って生まれてくるんだよ(メーテルリンク・青い鳥)
青い鳥症候群
人も国も何かに愛され生まれてくるのだとしたら、自分は雨に好かれたのだ。そう言って彼は自嘲気味に笑った。私はどう答えていいかわからず(あぁ、だって私は彼を傷つけたくはないのだ)ただ、ぼんやりとそうですか、とだけ答えて縫いかけていた刺繍をやり続けた。彼は私の後ろで寝そべるように横たわっている。その目は遠くを見つめていた。私は何も言わない。
「アメリカが独立した、その時も雨だった。」
呟くように彼は言った。私はただ刺繍を続ける。彼は私におそらく返答を期待していないし、私もまたそれをのぞんではいない。少し開いたままの窓から寒い風が舞い込んできた。私の国の冬は寒い。彼の国はどうなのだろうか、寒いのだろうか。
「あの時もうざいくらいに雨が降っていて、俺は酷くいやだった。何故こんなときまで雨が降るのか解らなかった。雨は嫌いだ。いつも俺のそばにある。」
私は何も答えない。彼は一人で呟く。私と彼が共にいる意味はなんなのだろう。いや、きっと意味などない。針は布を通って一つまたデザインの一端を担う。背中合わせになっているその彼と触れた部分からかすかに彼の体温が伝わってきた。寒いこの空気の中其処だけが無意味に暖かいのだ。
「もし、アメリカが光に愛されて生まれたのだとしたら、俺は多分雨に愛されて生まれてきた。じとじとと降ってくる雨に愛されてきた。だからこそ、雨は嫌いだ。だから、」
呟く彼はその時初めて顔を上げて、緑の澄んだ瞳で私を見た。
「だから、雨の多い日本の家は嫌いだ。」
その緑の目はあまりに澄んで、私は刺繍の手を止めた。ただ静かに言葉を返す。そうですか。彼はまた視線を私とは反対方向へとむけてしまい、私もまた視線を戻した。彼の金色の髪はきらきらと光を乱反射して、そう、彼が雨に好かれているなんて微塵も感じさせない。否、むしろ彼の言うとおりなのだとしても、彼の美しさは変わらないのに。
私は刺繍をまた再開して、彼はまた呟く。
「そうだ、あの時も雨だった。」
私は何も言わない。彼は私の家が嫌いだ。それでも彼はここにいるし私はそれを受容している。彼に私は必要とされている。今はそれで十分だ。彼はもしかしたら本当に雨に愛されているのかもしれない。雨にとらわれているのかも。けれど、考えを変えてみれば雨は恵みでもあるのだと、それを彼がいつか解ってくれるといい。そしてこの背中合わせの向こうから笑ってくれればいい。いつか彼が雨を愛せたら、雨に好かれた自分を愛せたら、私も笑って答えましょう。
私は雨が好きですよ
刺繍の完成は近い。外は今日も雨だった。