急に紅茶が飲みたくなったのは、あの人のことを思い出したからかもしれない。
アールグレイの思い出
何かに追われるようにしてはじまった狂騒はある日唐突に終わった。
残されたのは何かどうしようもない空虚。
はてもない何かの残像。
戦争ですべてを消されて、昔の面影をなくした街に吹きぬけるような風が吹く。
戦後私を占拠した人は、紅茶は好きではないと笑った。
部屋に漂う香りは確かに、紅茶よりももっと濃いコーヒーの香り。
今、あの人は何をしているんだろうか、と不意に思うことがある。
一時期あんなにも共にいたはずの人とは今では会うことすらなくて。
こぼれるのは苦笑だった。これほどのものでしかなかったのだ。
どれだけ想ったところで、国はヒトの意志を超えることはできないのだから。
私とあの人はあまりに遠い。
急に紅茶が飲みたくなったのは、そんなことを想ったからなのかもしれない。
ふら、と私は街へ出る。
『これは、なんというお茶なのですか?』
『アールグレイだな。…有名なやつだから…飲みやすいだろ』
そう、アールグレイと言っていた、あの紅茶はあるだろうか。
そんな高級品がこの街にはないだろうということはわかっていた。
あまりにもこの戦争の傷跡は深い。
それでも探したくて、ふと見つけた街角の喫茶店。
見つけたのは、紅茶の文字。
座って、カップに口をつける。
一口のんだその味は、アールグレイよりももっと安ものくさくて、薄かった。
小さく笑う。時計を見た。あぁそろそろ、ティータイムの時間ですね。
目を閉じて、もう一口飲んでみる。
口の中に思い出されたのは、それでもアールグレイの味。
遠いとおいあの国でも、そろそろ紅茶の香りがし始めるだろう。
おもいだすのは、あの日々ばかりなのです
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